前回からのつづきです。今回は、政治哲学とは何か、ということを説明します。
「政治哲学」って何?
簡単にいうと、政治哲学というのは、政治関連の概念を言葉で表現する学問です。
それって、政治科学や社会学とはどう違うの?
これは難しい問いですね。前回にも述べましたが、一つ違いを挙げるとすれば、政治科学はある概念の一部分のみに注目するのに対して、政治哲学はその概念の全体に興味がある、という点でしょうか。例えば、「国家」という概念は、政治科学では科学者のもっているねらいによって色々な風にとらえられていますが、政治哲学ではそれ自体として扱われます。もっと具体的にいうと、例えば政治科学ではよく、「国家とは立法、司法、そして徴税と予算編成、さらに軍隊の保持の権利をもつ機関である」という定義が出てきます。そして、これで事足りることが多いです。対して、政治哲学では、その中で出てくる色々な考察が全てそのまま「国家」の概念の定義の一部となります。なぜこうした権利が国家にあるのか、また国家とはそもそも何なのか、それはどのようにして生じるのか... こうした問いを全て勘定に入れるのが政治哲学なのです。
じゃあ、早速訊くけど、国家ってそもそもなんなの?
率直な良い質問ですね。国家とは、政治哲学の中で最も重要な、最高峰の概念を指します。国家は、人間の精神の一部です。精神の本質は自由であることなので、国家は必然的に、自由の概念の一部分、あるいは一段階となります。
ちょっと待って。「精神の本質は自由であること」っていう意味がわからなかった。
少々ざっくばらんな言い方が過ぎたようですね。説明します。哲学では、ありとあらゆるものごとが三つのものへと区分けされます。「論理的なものごと」「自然なものごと」そして「精神的なものごと」です。この中で、「論理的なものごと」とは、例えば「対立」「区別」「可能性」「因果関係」などです。こうしたものごとは、時空間に直接あらわれるわけでもありませんし、生まれたり死んだりするわけでもありません。非常に抽象的で、それ自体としてはあまり内容もないのですが、その他すべてのものごとが存在するためには欠かせないものごとでもあるのです―実際、「存在」と「不在」も、論理的なものごとですから。次に、「自然」とは、時空間の中でスッチャカメッチャカに存在するものごとです。最後に、「精神」とは、自然の中に論理的なものごとが溶け込んだ結果生まれます。なので、精神とはある意味自然よりも抽象的ですが、また別の意味で、自然よりもさらに現実的で具体的でもあるのです。これ以上詳しいことは、ここでは言えません。論理学や自然哲学や精神哲学の本を読んでみましょう。
さて、あらゆるものごとの中でも最も現実的なものが精神なのですが、精神は自然の支離滅裂な活動に逆らって、安定する傾向があります。簡単にいうと、自然ではとっくに消えてなくなっているものを、精神は自分の中に持ち続け、それがゆえに安定して一つの個で有り続けるのです。例えば、「音」は自然現象ですが、これが「音楽」になるためには、単音では消えてなくなってしまうはずの音を記憶し続け、一つの作品へと統一していく精神が必要となります。あるいは、「色」が「言葉」になったり、「もの」が「道具」になったりするためにも、同じようなことが必要です。自然界では消えてなくなってしまうことを自分の中に保存し、自分の思うような形へと統一していく―そんな働きをもつものこそ精神なのです。こうして、自然界ではなすがままにされているものごとを自分の思うとおりに組み替えているからこそ、精神は自由であるといえるのです。
なるほど。ところで、これと政治哲学とはどういう関係があるの?
政治哲学は、正確には「法権利の哲学」といって、精神の客観的な自由を追究する学問です。精神は、始めは主観的に、つまり自分の中に閉じこもって、あれこれ思いを巡らし、行動をしているにすぎません。これが精神の主観的な自由です。しかし、他の精神との結びつきのなかで、あるいは自然との結びつきのなかでなおも自分の考えを維持しようとするとき、精神は他者を相手にせねばなりません。こうして他者を相手にしつつ自由であるとき、精神は客観的に自由であるといえるのです。法権利とは、他者を規制したり、他者に何かを求めたりする様々な形式のことです。これを研究することで、精神が客観的に自由であるとはどういうことなのかがわかってきます。
そうなんだね。それで、法権利の哲学って何を扱うの?
すでに述べたように、自由の概念を相手にしますが、あくまで「客観的な自由」、つまり精神が他の精神や自然と関わる中での自由に焦点を絞ります。はじめは、客観的な自由がとりうる最も初歩的で単純な段階、つまり「私的所有」という形式から始まり、最終的には「国家」という複雑極まりない究極の形式まで考えを進めます。
なんか、すでに僕らが知ってることをこねくりまわしているだけみたいな学問だね。
そうともいえますが、そうではない面もあります。たしかに、「私的所有」や「国家」なんていうのは、私たちが日常的に理解して使っている考えです。しかし、例えば「私的所有」と「国家」とのつながりを、はたして私たちはうまく説明できるでしょうか。あるいは、「会社」や「警察」や「貧困層」など、こうした考えの相互の関係を言葉で表現できるでしょうか。恐らく、無理だと思います。あるいは、いくつかの考えの間のつながりならば説明できるけど、全てをつなげるのは無理、という人もいるかと思います。こうしたつながりは、法権利の哲学を通して初めて学ぶことができるものなのです。そして、こうしたつながりが理解できれば、「国家」等の考え自体も影響を受けて豊かになるはずです。
へえ。とにかく、まずは実際に『法権利の哲学』を読んでみたいね。
全く同感です。早速読みましょうか。
(おしまい)