Sunday, 31 August 2014

英語を勉強させることについて

外から、花と動物と線香の匂いがしている。風が部屋に入ってくると、思いのほか透きとおった匂いなので驚く。床を水拭きし、洗濯をし、食器を洗った。そして、コンビニへ印刷をしに行った。扇風機のパーツを洗った。きれいな日で、そろそろ秋という感じがする。夜も、涼しくなってきた。寒い夜もあったくらいだ。

今学期が始まってすでに半年近くが経とうとしている。各クラスの中では、当然、生徒によって実力に差が出てくる。上にいる生徒たちは、授業で行う新しいことを次々と覚えていくので、退屈そうにしていることがある。下の生徒たちは、なんとかついていこうとはしているが、やる気が落ちている人も何人かいる。集団で授業をするときのジレンマはこれだ。上にあわせるか下にあわせるかの二択しかない。下にあわせつつ上にも面白いことをやる、といった小細工は、少しはできても、根本的な解決にはならない。それに、授業でそういう小細工をやると、かえって生徒たちの間では「上」と「下」の差がはっきり意識されるので、授業自体がやりづらくなる面もある。

今のところは、下の方に合わせて授業を行っている。上の方の生徒たちは案の定やや退屈そうにしている。しかし、余裕があるから感じるフラストレーションよりも、全く授業についていけなくて感じるフラストレーションの方が重いはず。それなので、この方針は、正しい妥協の仕方だと思う。

それにしても、生徒たちはよくついてきてくれているといつも感心する。小学生が英語を習いに毎週勉強に行くということは、大変なことだ。自分が小学生の頃、同じことをしろと言われたら、間違いなく反発しただろうし、どこか塾へ通うように言われたら、恐らく何らかの方法でサボっただろう。自分の場合、両親が半ば無理矢理に英語をやらせた。家庭教師だったので、サボるのも難しかった。勉強をしているときはつらかったし、これが一体何の役に立つのかが全然わからなかった。それでも、今は、そのときに英語をしっかり勉強したおかげで、色々なことができるようになっているし、今の社会において比較的生き延びやすい立場を得ることができたと思う。

英語の勉強の大切さを小学生に説明して納得してもらうことは不可能だ。往々にして、小学生が何かを判断するときは、それが「快い」か「辛い」かが判断基準となる。今は辛いけど将来役に立つ、とか、今は快いけど将来後悔することになる、とか、そういった長期的な判断が、小学生にはできない。小学生が快さを感じる機会が量産されている現代においては、あえて辛さを我慢して意味のわからない勉強に専念するのはさらに難しいだろう。

その意味では、毎週しっかり英語を勉強している小学生もえらいが、そういうことを子供にしっかりさせている親御さんもえらい。子供に英語を勉強させるのは非常に面倒くさい。お金もかかるし、毎週宿題をチェックしたり、ちゃんと塾に行っているかを確認したり、子供の文句を聞いたり、子供を説得したり罰したりしなければならない。何もやらせなければ、こうした苦労からは自由でいられるので、親にとっては楽だ。それでも、子供の将来やこれからの世の中についてしっかり考えているからこそ、親御さんも子供に英語を勉強させることを選んだのだろう。

「勉強させる」といっても辛いことばかりではない。わかる楽しさはあると思うし、数年の勉強が実って本を読めるようになったり、英語で文章が書けるようになったりすると、ある種の「力」を実感することができる。