Wednesday, 1 August 2012

つくる

カナダのUBCに在学中に綴った雑想集から移転しました。

ウェブ上での移転の理由は、地理的な移転とも関係しています。カナダでの生活中、生活の中心は英語でした。英語は、音楽的な、ナンセンスな言葉ではありますが、同時に厳密でもあり、また何よりも哲学の洗礼をうけた言語です。そのため、英語の言語感覚には、常に白紙から始めるような気持ちにさせるところがあります。つまり、会話や書簡などに際して、あらかじめ何か了解事項を土台として言葉を綴ることが難しいのです。

日本語はむしろ逆です。どれだけ多くの了解事項を、直接的には言葉にせずに、少ない言葉の中の「味」や「含み」で伝達するか。これが日本語の美の基調であります。例として、「わたしはあいつが嫌い」という文章を考えてみますと、英語では即座に「嫌い」の意味をもっと厳密にしろ、どこがどう嫌いで、それは何故そうなのかをもっと言え、という圧力が言語の側から伝わってくるようでもあります。日本語ではどうかといえば、この一言ですべて言い切っている、これ以上の説明はくどくどしいだけで不要である、となるでしょう。むしろ、この一文すら長すぎる場合もあり、「なんかヤダ」などといった、主語すらかけているフレーズで事足りてしまうことしばしばです。これで伝わることが日本語の快楽とでもいうところで、ちょうど剣術の見習いが一刀両断の快感をおぼえ、味をしめるのと似ています。

さて、最近カナダから日本に移ったことで、言語的な移住も行われたのです。それは、しばらくは日本語の中に住むことを決めた、ということです。 『日本語づくり』という題字は、ちょうどデカルトが数学や哲学を建築にたとえて、一気に建てたものこそ良いのだ、と考えたように、こちらも日本語を建築としてとらえて、一気に建ててみよう、という計画を込めているわけです。ほとんど中身のない、定まらない計画ではありますが。書いた側から消えてゆくようなこのような言葉も必要ですが。