『カタコトのうわごと』所収の作品の一つの中でだったと思うが、多和田葉子が日本の文芸批評界について、女性の文芸批評家がいないという「グロテスク」な状況だ、と述べていた。音楽の世界でも、最近Vulnicuraを発表したビョークがPitchforkとのインタビューにおいてこう述べている。
I want to support young girls who are in their 20s now and tell them: You’re not just imagining things. It’s tough. Everything that a guy says once, you have to say five times. Girls now are also faced with different problems. I’ve been guilty of one thing: After being the only girl in bands for 10 years, I learned—the hard way—that if I was going to get my ideas through, I was going to have to pretend that they—men—had the ideas.今20代の女性たちに対して、私は次のように言って励ましたいです―「あなたたちの感じていることは妄想では決してありません」と。男性ならば一回言えば通ることを、女性は五回繰り返さなければいけないのです。それに、今の女性たちは別の困難にも直面しています。私にも罪はあります。というのも、色々なバンドで10年も紅一点でいた後、私はあることを―必要以上の苦労を通して―学びました。もし自分の考えを通したい場合は、あたかもかれらが―つまり男性たちが―その考えを持っているかのようなふりをしなければいけなかったのです。
性差別は国や業種を問わずまだまだ根深い問題だ。
誰かの人格を思い浮かべるときに、性別という要素は意識的にはそこに含まれていないだろう。しかし、全く性別を意識していないのは逆に問題である。
それはちょうど、「私は人種に関係なく誰とでも友達になります」と言う人に限ってものすごいレイシストであるような意味で。
女や男というステレオタイプは存在する。そして、それらは無意識のうちにかなりのところまで私たちの欲望を形成している。
生物学的な性別に対する差別と、人格の一部としての性別に対する差別とが存在する。どちらも多様な効果を生みだす。性差別の問題が最も切実にかつ最も複雑に出現するのは家族関係においてだろう。しかし、あらゆる人間関係において、性差別はまだまだ存在する。
性差別はもう存在しない、という意識を持っている人が一番差別者である可能性が高い、と書いた。こういう意識の持ち主は、性差別批判を口にする人と会うと、「なぜこの人はありもしない問題についてこんなに真剣に話すのだろうか」とか、「この人はいもしない敵と闘っていて滑稽だ」などと思うのだろう。そして、「この人さえ静かにしていれば、何も問題ないはずなのに、なぜこの人は自分から問題を起こそうとしているのか」とさえ思うかもしれない。
性差別は存在し、それは普遍的な面を持っている。つまり、それは個々人の心の持ちようの問題にはおさまらない。それは公共の場で行われる発言や決定などに潜在している。