Sunday, 23 September 2012

中国の女工たち

レスリー・チャンの『現代中国女工哀史』は、中国製の製品の恩恵を受ける読者にとっては読むのが大変な一冊だ。なぜなら、これを読めば読むほど、「現状は維持できない」という事実に気付かされるから。

東寛という、700万人以上の移民労働者が働く工業都市をドキュメントした作品。チャンは十代で田舎を離れて東寛に来る「女工(factory girls)」たちを取材している。面白いのはまず、この女工たちが上京する理由。 貧困のため、などではなく、「故郷の風習に縛られた生き方に嫌気が差した」というのが圧倒的多数だ。農場も両親も、自分を自由な個人として花開かせてはくれない。本当に自分を個人として確立したければ、自分の手で一から始めなければならない。そういう思いで、田舎の十代の女たちは女工となる。

女工は、都市で自立するためには避けては通れないステップで、仕事=女工、が常識らしい。ただ、工場での仕事自体は労働環境も劣悪な上に大した収入にもならないので、一つの場所で長く働くなんていうことはほとんどありえない。常に女工たちは動いている。より良い労働条件や収入を求めて、次々に場所を移り、人と会い、色々な賭けをしている。娼婦になる女工もあとをたたないが、他方では運が良くてブルジョア階級の管理職に就く女工もいる。後者は、工場で働いていた頃とは比べ物にならないほどの収入、5倍、10倍、20倍、あるいは50倍もの収入を得るようになり、自分のそうした「成功=金儲け」を「実現する方法」を、「低階級」の女工たちに説いてまわるようになる。このあたりの心理描写は特に面白く、漠然と「自由」を求めて田舎を飛び出した少女がその「自由」の具体的な達成として「金持ちになる」ことを見出し、それを今度は自由のモデルとして他のひとに説くとは、金持ちであること=たくさんの女工に不自由な生き方を強いること、という事実を思ってみればなんとも皮肉な話である。

皮肉なだけではなく、チャンが明確にする上記のような女工の生き方は、中国の製造業に依存している日本や欧米のブルジョア社会への間接的な批判・警鐘を含んでいると思う。

整理すると、女工たちを工場へと駆り立てるモチベーションは二つある。一つ目は、「自分も金持ちになれるかもしれない」という希望だ。二つ目は、「田舎に帰っても、風習に縛られた不自由な一生が待っているだけ」という絶望だ。

この二つのモチベーションは、「成功」してブルジョア的な管理職にのしあがる中国人が増えて行くにつれて変化せざるを得ないだろう。日本や欧米がブルジョア大国となっていく背景には、常にアフリカ系、あるいは中国・インド系の労働者たちの力があった。しかし、中国が同じようにブルジョア化するために必要な新たな労働者人口は残念ながら世界のどこを探しても存在しない。つまり、中国人が皆「金持ちになる」ことは不可能なのだ。

チャンによると、中国の女工たちの間では、大学で人文系の学問を修める人が年々増えているという。政治や経済を学ぶことによって、女工たちは自分たちが世界のためにどのような役割を担っているかに気がつき始めている。恐らく、「成功への道」を声高に説く管理職の女たちが自分たちを必要としていることも。そしてさらに、中国で成功するためには誰かが誰かを蹴落としていかざるをえないということも。自分たちを搾取しながら金を稼ぐ人が、自分たちを成功へと導くためのストーリーをつくり、語って聞かせてくる――この矛盾に気がつけば、都市での「自由な」生活に、女工たちはきっと幻滅していくはずで、女工として生きていくモチベーションから「金持ちになる」が消えることだってあるだろう。

都市のこうした矛盾を意識したときに、田舎に戻って幸せになる道はないのか、と自問する女工たちが出てきてもおかしくない。このときに、「田舎から逃れたい」という単純なモチベーションも消えるだろう。むしろ、田舎にいて、家族や周辺の人々の風習から逃れるための文化闘争が始まっても良いはず。田舎に、都市的な自由の感覚を広めて、女工になる以外にも幸せになる方法を探すことで、「田舎から逃げる」という選択肢もあまり魅力のないものになるかもしれない。

「女工は成功しない」という意識と、「田舎の文化を変えれば幸せもありえる」という意識が熟成するのにどれだけの時間がかかるかはわからないが、そんな変化の先に待っているのは、中国の製造業の形骸化だ。安い中国人労働者が仕事に従事してくれるおかげで、日本や欧米では製造業に一切関わらなくてもなんでも手に入るような仕組みができているが、 その仕組みが壊れ、後者の国々では再び国内製造業を拡大しなければならないという事態になるはず。そのときに、日本に住む人として、中国人の労働力に依存せずに生きるにはどうすれば良いかを考えて少しずつそうしたライフスタイルを実現していくことは急務の課題だし、それができない人は突然中国製造業が破綻したときに愚行に走るほかには選択肢を持たないだろう。

いずれにせよ、中国の女工たちがこれから戦うことになる闘争は製造技術の革新などでは終わらず、文学や政治を通して人の考え方や感情が変わらなければ収束しない。中国人が英語で祖国を舞台にした作品を書き、Amazon.comのKindle Storeなどで販売している現状は、チャンのドキュメンタリーから浮かび上がる女工たちの姿と並置してみると一層政治的な含みを持ち始めるようにもみえる。