「匿名性」と聞くと何か特別なことのように思えるかもしれないが、実は私たちは人生の大半を「匿名的」な存在として生きている。「あなたがあなたであることはそれほど大切ではない」という人たちに囲まれて生きることや、一人で生きることは、どちらも匿名性の中で生きることである。「あなたがあなたであるからこそ関係したい」つまり「あなたを愛している」「あなたこそ本当の友である」と言ってくれる人と関係することによってのみ、匿名性から脱することができる。
これは一方ではとても難しいことだが、他方では容易でもある。要するに、こういう考え方を持っている人と出会えさえできればいいこと。ただ、こういう人と出会うということは、それ自体がすでにそれなりの労力を必要とする。骨の折れる作業であるとも言える。というのも、「あなたがあなたであるからこそ…」という思いは、試される必要があるからである。
口で「あなたを愛している」「あなたこそ本当の友である」という意味の言葉を言うのは簡単だ。しかし、それを常に言い続けることはできるだろうか。相手に対して幻滅しきってしまったかのように感じる瞬間にも、「いや、でも、私はあの人とつながっていたい」と思えるだろうか。こういうことを考えたことのある人にとっては、こうしたコミットメントは難しいことではない。しかし、考えたことのない人にとっては、とても感情的に重いことのようにも感じられるかもしれない。少なくとも、損得で人間関係を把握している内は、まだこういう思いに身を置くことはできないだろう。
優れた小説は、こうした意味で、人物を「その人」として描く。たしかに、小説に描かれる人物は虚構の、架空の人物だが、そうはいっても、書き手や読み手のその人物に対する思い入れには、愛や友情に通ずるものがあるだろう。私個人も、例えばトルストイの描くレーヴィンやジョイスの描くスティーヴンには深い思い入れがある。逆に、実在はしていても、私にとってはほとんどどうでもいいような人たちもたくさん存在する。残念ながら、これもまた事実として認めるしかない。そう考えると、小説とは、人を匿名性から解放する手段でもあるのかもしれない。