Sunday, 1 February 2015

ISIL事件―いい加減なブログ記事と、冷静な新聞・雑誌記事

ISILによって日本人二名が殺害された。この事件について読み、まず思い浮かべたのが、13年前の小泉首相のときに起きたイラク日本人人質事件だ。今回、後藤さんも、「自己責任です」と述べていた。

この事件に対しては色々な人がブログ記事を書いており、ニュース記事を検索しようとするとブログ記事ばかり出てきてしまう。これほど素早く執筆されてしまうブログ記事は(これも含めて)個人的なリアクションにすぎない場合が多い。それなので、今回の事件が一体どんな事件だったのかを理解するための助けにはほとんどならない。

それでも、このような事件が起きたときに、ブロガーの人たちがどういう反応をするのか、それを観察するための資料にはなる。そして、かれらの多くは(例えば、BLOGOSのトップ記事に名を連ねる人たちは)実にいい加減なことを、それがさも事実であるかのように述べている。

例えば、この記事は次のような調子だ。

「私たちはこれまで中東に対して無関心すぎた。」「何故、ISILだけでなく多くのムスリムがアメリカを敵視しているのか。何人の日本人が答えられるだろうか?」「まず、私たちに出来ることは、中東情勢をよく知ることだ。」「イスラーム世界を異質なものとして忌避するのではなく、理解をすることからすべては始まると思う。」「日本人は海外においてあまりに無防備だ。」「残念なことだが日本だけ「われ関せず」、という立場を貫き続けることはもはや不可能になった。」
書き手個人の無知が、「日本人」の無知とすり替えられている。そして、あたかもこれまで日本が中東に「我関せず」の態度をとってきたかのようにも書いている。すでに小泉政権時代から、中東と日本との関係は続いてきたにも関わらずだ。また、「多くのムスリムがアメリカを敵視している」という言い方も単純すぎる。

これは一例にすぎず、このような調子で、いい加減な質問や意見が並ぶ記事は多い。
 
他方で、役に立つ記事もたくさんある。新聞や一部のオンライン雑誌などは、歴史的事実を色々と教えてくれる上、実在するムスリムの声も取り上げている。例えば、毎日新聞の記事には、「彼らはイスラム教徒ではなくテロリスト。彼らの行動によって、これまでイスラム教徒が日本国内で積み上げてきた日本人との友好的な関係が崩れてしまいかねない」という教徒学生の声を紹介している。あるいは、LITERAの記事には、「いま問題とされるイスラム過激派組織の“生みの親”“育ての親”は、実はアメリカだったというわけだ」という説を、史実を紹介しつつ展開している。

何年か前に、中東の政治について大学で討論を行ったことがある。そのときは、1990年8月のフセインによるクウェート侵攻へとさかのぼり、そこからイラク戦争までの流れを読んだ。討論の際には、「We」を主語にして自分の意見を述べる学生と、「I」や「They」を主語にして述べる人とが対照を成した。We派の人たちの意見は、それを聴いてしまっただけでそれに自動的に自分も賛成しているかのような錯覚を起こさせる。ブログ記事の場合も、「私たち」「日本」「日本人」といった言葉が主語になっていると、同じような錯覚が読み手の精神に起きる。