憲法改正議論と雇用問題―この二つが、安倍内閣にとっては大切なようである。
まず、雇用問題。去年の12月に、毎日新聞の見出しに「地方創生:5カ年計画で若者雇用30万人 人口減歯止めに」という記事をみつけた。オンライン版も出ている。これによると、安倍内閣は2020年までに「独身で年収300万円、夫婦で500万円」の「安定的雇用」を創出するために、「2015年は2万」「2020年までに30万」の新たな雇用をうむという目標を掲げた。
他方で、記事の最後には、「野党から「増えたのは非正規雇用」と批判も受けた」とも書いてある。実際、2013年からの2年間で、正社員数は22万人減り、非正規雇用者数は123万人増えたらしい。
安倍首相は、衆議院選挙前のテレビ出演時に、「100万人新たな雇用を生み出した」と何度も強調していたが、生み出したのが非正規雇用ばかりで、正社員はむしろ減ってしまった。とするならば、これは雇用問題の解決に向けた前進ではなく、事態は明らかに悪い方向へ進んでいる。
「2020年までに30万人」という目標も、「正社員30万人」という意味なのかどうかが曖昧である。また、仮に30万人が全員正社員になることができたとしても、どういう労働条件でどのような仕事をさせられるのかも曖昧だ。
私は個人的に、よほど給料が良いのでない限り、現代において正社員として雇われるのは怖い。私の周りには、正社員として働いてはいるが働きづくめで他に何もする余裕がないような人たちが大勢いる。逆に、働く一方で何か別のことをするような人は、非正規雇用あるいは非営利団体への勤務をしている。時給性ならば、会社側も残業させにくいからである。正社員は月給性だが、ボーナスをもらうためにサービス労働をしなければならないという暗黙の了解がある。一日8時間、週5日の労働で、有給休暇も年末年始の休暇もあり、かつ年収300万円を保証してくれるような仕事は、相当運が良くない限り自分のところにまわってくることはない。
私見だが、雇用の数を増やすよりも、すでに存在する雇用の質を上げていく方が急務だと思う。例えば、「サービス残業やサービス労働をしてはいけない」という法律をつくることによって。こういった法律ができれば、企業はより多くの人を雇わざるをえなくなる。そうすれば、雇用も自然と増えるが、これならば雇用の創出が労働条件の改善と並行して進む。
もちろん、企業にとっての一番のコストは人件費であることが多いので、こうした形で雇用を創出すると日本経済にとってはマイナスとなり、場合によっては企業の倒産にもつながりかねない。これが国際経済の悲しいところで、社員をこき使う企業が海外に存在すれば、社員に人間らしい生活を保障する企業は自然と苦しくなる。「企業や経済よりも人間の生活が大切」などとモラリスティックなことを言ってみるのは簡単だが、これでは何の解決にもならない。
それなので、現実的には「サービス労働禁止法」のような法律はつくられないだろう。そもそも、いまの世界経済においては、健全な正社員を雇えるような余裕はほんの一部の企業にしかないのだから。サービス業・小売業から医療、教育、工業まで、どの分野においても、収入をとるか実生活をとるかというような不毛な選択を迫られる労働者は多い。
そうした状況において、「地方創生」の「総合戦略」などと題して、あたかも日本の労働者を救うためのプロジェクトが始動したかのように国民に期待をさせる安倍内閣のやり方は疑問だ。以前も書いたが、今の日本政府にはこうした問題を解決する力がない。これは安倍首相や安倍内閣の問題ではなく、資本主義経済が潜在的に抱える問題である。それを、一国の政府の努力によって解決あるいは改善できるかのように国民に思わせるのは、その期待が裏切られたときの反動を思うと不安である。
二番目に、憲法改正議論について。日本経済新聞によれば、さきの衆議院選挙の後、早速安倍内閣はより具体的な話へと憲法改正議論を進めている。(例えばこの記事において。) また、少し前の映像になるのだが、安倍首相が出演して憲法改正の必要性を説いた番組動画がここにある。なぜ現行憲法ではいけないのか、その議論が非常に曖昧で、堂々巡りをしている感がいなめない。
そもそも、憲法とは何なのか。憲法とは、その国の現実を反映した文書である。日本国憲法とは、「日本とは現にこういう国です」という日本の現実を描写している。「時代にそぐわない」「進駐軍が8日で作った」といった考えは、そのため、現行憲法の内容の是非を議論する上では意味がない。
とりわけ憲法9条を改正するかどうかについての議論で思うのは、そもそもなぜ9条があるのかということを説明してくれる人がいないということ。また、例えば「日本は国防を他の外国に任せている」という安倍首相の批判も、なぜそれがいけないのかがわからない。 実際、日本は本当に国防を外国に任せているのか。
思うに、もし憲法が改正されるならば、改正されるべき項目は天皇についての記述や9条などではない。9条はそのままにしておき、例えば「国連PKO軍をつくる」というような(以前から言われていた)項目を付け足すのは良い。変更あるいは追加すべきは、国民の政治参加の形式を定める項目だろう。例えば、現行憲法においては、憲法改正は国民投票による過半数の賛成によって行うことができる。これははっきり言って暴挙である。国民は政治家ではない。政治を真剣に研究するだけの熱意と教養とを持っている国民は稀である。そういう国民は、そもそも政治家である場合が多い。国民の50%以上が、政治的に妥当な判断をするだけの能力を持っているだろうか。
「国民の過半数」という条件には何も実質が伴っていない。よって、国民投票による多数決は、民主主義ともいえないし、全うな政治を行うための手段としてはふさわしくない―こうしたことは、2世紀以上にわたって言われ続けてきた。それにも関わらず、憲法改正に関する手続きは、最終的に国民投票で完結するようになっている。こうした手続きを変え、より良い手続きを追加するならば、憲法を変えてもいいだろう。しかし、ここ数年間の憲法改正議論についてのニュースや著作物等を読む限り、国民の政治参加の形式と憲法改正とを結びつけた議論にはまだお目にかかったことがない。そして、この問題について議論もないままに、「国防」や「時代にそぐわない」などの考えが内容もなく一人歩きしてはいまいか。憲法改正には賛成でも反対でもないが、議論の枠組みや議論になっている問いの立てられ方については大いに疑問である。もっと別の問いに議論が移らない限り、改正を実際にするかどうかという話は時期尚早である。
他方で、記事の最後には、「野党から「増えたのは非正規雇用」と批判も受けた」とも書いてある。実際、2013年からの2年間で、正社員数は22万人減り、非正規雇用者数は123万人増えたらしい。
安倍首相は、衆議院選挙前のテレビ出演時に、「100万人新たな雇用を生み出した」と何度も強調していたが、生み出したのが非正規雇用ばかりで、正社員はむしろ減ってしまった。とするならば、これは雇用問題の解決に向けた前進ではなく、事態は明らかに悪い方向へ進んでいる。
「2020年までに30万人」という目標も、「正社員30万人」という意味なのかどうかが曖昧である。また、仮に30万人が全員正社員になることができたとしても、どういう労働条件でどのような仕事をさせられるのかも曖昧だ。
私は個人的に、よほど給料が良いのでない限り、現代において正社員として雇われるのは怖い。私の周りには、正社員として働いてはいるが働きづくめで他に何もする余裕がないような人たちが大勢いる。逆に、働く一方で何か別のことをするような人は、非正規雇用あるいは非営利団体への勤務をしている。時給性ならば、会社側も残業させにくいからである。正社員は月給性だが、ボーナスをもらうためにサービス労働をしなければならないという暗黙の了解がある。一日8時間、週5日の労働で、有給休暇も年末年始の休暇もあり、かつ年収300万円を保証してくれるような仕事は、相当運が良くない限り自分のところにまわってくることはない。
私見だが、雇用の数を増やすよりも、すでに存在する雇用の質を上げていく方が急務だと思う。例えば、「サービス残業やサービス労働をしてはいけない」という法律をつくることによって。こういった法律ができれば、企業はより多くの人を雇わざるをえなくなる。そうすれば、雇用も自然と増えるが、これならば雇用の創出が労働条件の改善と並行して進む。
もちろん、企業にとっての一番のコストは人件費であることが多いので、こうした形で雇用を創出すると日本経済にとってはマイナスとなり、場合によっては企業の倒産にもつながりかねない。これが国際経済の悲しいところで、社員をこき使う企業が海外に存在すれば、社員に人間らしい生活を保障する企業は自然と苦しくなる。「企業や経済よりも人間の生活が大切」などとモラリスティックなことを言ってみるのは簡単だが、これでは何の解決にもならない。
それなので、現実的には「サービス労働禁止法」のような法律はつくられないだろう。そもそも、いまの世界経済においては、健全な正社員を雇えるような余裕はほんの一部の企業にしかないのだから。サービス業・小売業から医療、教育、工業まで、どの分野においても、収入をとるか実生活をとるかというような不毛な選択を迫られる労働者は多い。
そうした状況において、「地方創生」の「総合戦略」などと題して、あたかも日本の労働者を救うためのプロジェクトが始動したかのように国民に期待をさせる安倍内閣のやり方は疑問だ。以前も書いたが、今の日本政府にはこうした問題を解決する力がない。これは安倍首相や安倍内閣の問題ではなく、資本主義経済が潜在的に抱える問題である。それを、一国の政府の努力によって解決あるいは改善できるかのように国民に思わせるのは、その期待が裏切られたときの反動を思うと不安である。
二番目に、憲法改正議論について。日本経済新聞によれば、さきの衆議院選挙の後、早速安倍内閣はより具体的な話へと憲法改正議論を進めている。(例えばこの記事において。) また、少し前の映像になるのだが、安倍首相が出演して憲法改正の必要性を説いた番組動画がここにある。なぜ現行憲法ではいけないのか、その議論が非常に曖昧で、堂々巡りをしている感がいなめない。
そもそも、憲法とは何なのか。憲法とは、その国の現実を反映した文書である。日本国憲法とは、「日本とは現にこういう国です」という日本の現実を描写している。「時代にそぐわない」「進駐軍が8日で作った」といった考えは、そのため、現行憲法の内容の是非を議論する上では意味がない。
とりわけ憲法9条を改正するかどうかについての議論で思うのは、そもそもなぜ9条があるのかということを説明してくれる人がいないということ。また、例えば「日本は国防を他の外国に任せている」という安倍首相の批判も、なぜそれがいけないのかがわからない。 実際、日本は本当に国防を外国に任せているのか。
思うに、もし憲法が改正されるならば、改正されるべき項目は天皇についての記述や9条などではない。9条はそのままにしておき、例えば「国連PKO軍をつくる」というような(以前から言われていた)項目を付け足すのは良い。変更あるいは追加すべきは、国民の政治参加の形式を定める項目だろう。例えば、現行憲法においては、憲法改正は国民投票による過半数の賛成によって行うことができる。これははっきり言って暴挙である。国民は政治家ではない。政治を真剣に研究するだけの熱意と教養とを持っている国民は稀である。そういう国民は、そもそも政治家である場合が多い。国民の50%以上が、政治的に妥当な判断をするだけの能力を持っているだろうか。
「国民の過半数」という条件には何も実質が伴っていない。よって、国民投票による多数決は、民主主義ともいえないし、全うな政治を行うための手段としてはふさわしくない―こうしたことは、2世紀以上にわたって言われ続けてきた。それにも関わらず、憲法改正に関する手続きは、最終的に国民投票で完結するようになっている。こうした手続きを変え、より良い手続きを追加するならば、憲法を変えてもいいだろう。しかし、ここ数年間の憲法改正議論についてのニュースや著作物等を読む限り、国民の政治参加の形式と憲法改正とを結びつけた議論にはまだお目にかかったことがない。そして、この問題について議論もないままに、「国防」や「時代にそぐわない」などの考えが内容もなく一人歩きしてはいまいか。憲法改正には賛成でも反対でもないが、議論の枠組みや議論になっている問いの立てられ方については大いに疑問である。もっと別の問いに議論が移らない限り、改正を実際にするかどうかという話は時期尚早である。